「ジャーナリスト同盟」通信

发布者:发布时间:2016-02-18浏览次数:430

<中国慰安婦問題研究センター>
 2月10日のわが記念すべき日に、上海師範大学の蘇智良教授のコメントが人民網に載った。彼は中国慰安婦問題研究センターの責任者で活躍している。コメントの内容は「海南省の元慰安婦・黄珍妹さん(104歳)が亡くなった。現在、中国内の生存者は20数人」というものだった。数十万人ともいわれた慰安婦の詳細はわからない。当事者が秘密にして墓場へと持ち込んでしまうからだ。これは現在の日本でも見られる。女性の地位と社会の人権意識の低さとを物語っている。未だに男尊女卑の東洋・アジアである。日本政府はというと、今も国際社会に向かって「政府や軍が主導したという証拠はない」と平然と開き直っている。それでいて、昨年12月の日韓合意。ワシントンの圧力に屈したものだろうが、不甲斐ない東洋・韓国であろうか。



<蘇智良教授との出会い>
教授との出会いは、記録をたどると、2003年のことである。その前に97年に北京郊外の盧溝橋で「7・7事変国際シンポジウム」が開かれた。筆者の主張にアメリカから参加していた中国系アメリカ人学者らが共鳴、直後に「我々のシンポジウムにも参加してほしい」と要請してきた。
アメリカでの日中シンポジウムには、言葉の壁があったが、興味もあり参加することにした。それが2003年3月の上旬だった。有名なエズラ・ボーゲル教授も参加していた。彼は、中国語と日本語を駆使していたのに驚いてしまった。




<2003年の慰安婦・性奴隷シンポジウムに参加>
サンフランシスコでの、このシンポジウムに蘇教授も参加していた。「近く上海で慰安婦問題についての国際シンポジウムを開催する。ぜひとも参加してほしい」との新たな要請である。
せっかくの機会なので、大学の先輩である多田実・元読売政治部長に声をかけた。当時、二松舎大学の教授と母校・中央大学の講師もしていた。思うに、彼が現役のころの読売は、まともな新聞だった。彼の後任が、読売を政府広報新聞にさせたナベツネだ。
ナベツネの正体は、多田先輩からよく聞かされていたので、今も大いに参考になっている。